国宝 犬山城
2012年 10月 14日
でも最初はあまり植木は植えてなかったそうです。
後年 桜も植えられたそうです。
犬山城12代目のお姫様 成瀬淳子さんのガイドでお聞きしたことを中心に書いていきますね。
(追記 成瀬淳子さんに関するHPはこちらからご覧ください。。。。☆★ )
犬山城は固い固い地層の上に建っているので地震にも強いそうです。
電気ドリルで穴を開けようと思ってもできなかったほどとのこと。
東日本大震災のおり震度3だったそうですが それほどまでにこの地が揺れたので有ればよそで相当の震度の地震が起きたのでは?ってとっさに思われたそうです。
ここで内部の構造をリンクしておきます。参考にしてください。・・・・★★
中に入ります。
ここは地下2階から入ることになります。
まず目に付くのが石垣とこの巨大な梁です。
犬山城で一番太い梁だそうです
「皆さんは言いたがらないのですが 私は嘘はつきたくないので話ますが・・・」と言われてこの大きな梁に使われている木はもう今の日本では取れないほどの木で こちらの梁は
タイランドの木だそうです。
修理する際 新しくされた梁です。
以前 薬師寺に行きました折も西塔の梁はタイの木だと言われたと思います。
日本ではもうそのような大木はないそうです。
石垣は自然石をそのまま積みあげた石垣で「野面積(のずらづみ)」と呼ばれています。
こちらは 1階になります。 ↓
今立って説明を受けている場所は城主の居間「上段の間」です。
この中に入れるのは成瀬さんのガイドだけに許される特権です。
他の観光客は囲いの外から私たちを見ながら 成瀬さんの説明にも耳を傾けておられました。
なんだか見られているようで恥ずかしかったですね。
城主がこの居間に居られる間 この武者かくしの間で 家来たちが万が一のために控えている部屋です。
その戸が大変重いのです。
開けてみて 私たちにも「開けてみてください!」と体験させてくださいました。
なかなか開きません。
「こんなに重たくては家来が出てきた時は城主は殺されていますね!」と笑わせてくださいました。
そしてこの畳・・。 日本で一番の職人さんが広島県に居られ その方にお願いをされたそうですが たいそうなご高齢でもう作れないとのことで 仕方なく機械で畳を作ってもらわれたそうです。
もちろん畳表は備後の一級品ですね♪
もう一つ お座布団のような物ですがこちらも特注で ◯万円もするそうですが成瀬さんのこだわりで作ってもらわれたそうです。
そしてこの部屋に入った人だけが座れる・・・(笑)
みんな一人ずつ座らせていただきました(^_-)-☆
代表して載せましょう♪
ほんの少しお殿様気分です(笑)
畳のヘリのお話もありました。
拡大画像が無いので分かりにくいのですが 徳川家家来としての紋の大きさがありここの畳のヘリの文様は中ぐらい(確かそういわれたと思います)です。
その文様の大きさによって大名の位の差が分かるようです。
普通は成瀬さんのガイドはこの2階までですが 今回は私たちだけという事で3階まで上がってくださいました。 角度50度 このお城で一番勾配がきつい階段です。
「階段は登るために有るのではなく 落とすためですからね。」と成瀬さん。
だからこういうきつい勾配に作って有るのだそうです。
彦根城も熊本城も怖かったと思いました。 ここは短いような気がしました。
「全部で何個あるか 探してみてください。 11個っていう人や 8個っていう人もあるのですが 私は6個しか探せないのです。」と言われました。
私たちも探しましたが6個しか見つかりませんでした。
写真を撮っていませんでしたが最後の額縁、「私の父です。」と。
ご立派なお写真でした。犬山市の名誉市民です。
ここで成瀬淳子さんのガイドは終わりました。ここには書ききれないほど沢山教えてくださいました。
やはり お城への愛情がうかがえる素晴らしいガイドをしてくださいました♪
天守閣の外廊下 少し傾斜があり怖いと思われる方もあるそうですが割と私は平気でした。
下に落ちそうな感覚にはなります。
そういえば犬山城は別名「白帝城」とも言われているのをご存知ですか?
「白帝城」とは李白の詩の中に出てくる中国・長江の上流に有るお城だそうです。
成瀬淳子さんは長江まで白帝城を見に行かれた!!っていう話は 覚えているのですがそれと犬山城がどういう結びつきなのか 忘れてしまいました(;一_一)
そして調べました、ネットって便利ですね(笑)
すごく簡単に言えば・・・「犬山城は断崖にあり、李白の漢詩に詠まれた中国の白帝城も同様に長江の丘上にあり荻生徂徠が命名したといわれている。」・・とのことでした♪
長江の流れの山の上に立つ白帝城と木曽川の流れの上に立つ犬山城の姿がよく似ているということなのでしょうね。
長くなりました~~お疲れ様です(礼)
次回はお城から出て 犬山駅に向かって歩いた様子を書きたいと思います。
いろいろ面白い事がありました(^_^)/
犬山城に電車で行かれる方は 犬山遊園で降りてお城見学のあと犬山駅に行くコ-スがお勧めです♪
詳しく説明して下さり、大変良く分かりました。
里の母の俳句のお仲間に、犬山城のお殿様、成瀬正俊さんと云う方が居られましたが、成瀬淳子さんのお父上かしら? ホトトギスの同人でであられました。
こんばんは!
そうです そうです!! わぁ~凄いつながりで嬉しくなります。
私のことではないのに・・(笑)
成瀬正俊さんは淳子さんのお父様で高浜虚子の門下だそうです。
お母様とお仲間・・凄いですね。 お母様の事は以前教えていただきました。
その正俊さんの御父上は正勝さんと言われて東京大学教授をされ高校の教科書など書かれたそうです。
初代からお名前に「正」が付いております♪
恥ずかしながら、犬山城がこんなにも素晴らしいお城だとは知りませんでした。しかもお姫さまがガイドをしてくださるなんて・・・。
これはぜひ訪ねてみたいものですね。
お殿さま、とても立派でいらっしゃいますね。
堂々と座られている姿、お見事です。
↓博多の華さんのお花を、こうして別の方のブログで見せていただくと、また違った趣があります。
これからベランダがにぎやかになりますね。
おはようございます。
私もこれほどにまでは・・・(笑) 国宝という事は知っていましたので
その点では立派な(古いという意味で)お城だとは思っていました。
ここで成瀬家と家来の足軽鈴木家とのお話も感動ものでした。その話も書きたかったのですが 長くなりますのでやめました(・。・;
また機会がありましたらお出かけくださいね。
にわか殿さまへゆん子さんのお言葉 伝えます(爆)
博多の華さん、沢山送ってくださって驚きました。
また綺麗に咲きそろいましたらお見せしますね。
ペチュニアはこれからの時期ではないと思いますが どこまで綺麗なのか観察します~~生産者になった気分(笑)
こちら良いお天気です そちらも?
煙と何とかは高いのを好むって言いますよね高いの怖い割にはお城に行くと天守閣まで登ってしまいます (もう駄目かもしれませんが)
最近は首里城、小田原城に行きましたがきつかったです
4国宝のお城、多分全部制覇しているはずですが
この犬山城は高1の旅行で行ったはず…なのに忘れています(涙)
ライン下りしか覚えていません
次は街中のエピソードですね楽しみにしてます
犬山城が「白帝城」と称されるとのこと、初めて知りました。
「白帝城」はあの『大地の子』のラストシーン、三峡下りのところで出てきますよね。
李白の詩を 父子で朗読し合います。
そして一心が実父に、「私はこの大地の子です」と言う感動的な場面です。
なぜか、犬山城がちがって見えてきます。
おはようございます。
昨日は朝は凄く寒かったのですが 昼間はとっても暑かったです。
27度も有ったそうです。
誰しもお城に行けば天守閣に登りますよ(笑)
でも昔の人は着物姿で凄いですよね。
裃もきていたでしょうし。
成瀬さんのお話で気が付きましたが いわゆる手すりも後からつけたものでまして上下する間に(真ん中)手すりがありますがそれももちろんないないわけで すごい すごい!!
首里城には行きましたが 小田原城は外から見ただけ。
まだまだお城めぐりが出来そうでう(笑) 行っていたに処ばかりです。
皆さん ライン下りはよく覚えておられるようです(笑)
お城は??でも(^^ゞ
おはようございます。
こちらこそいろいろと有難うございました。
御子息様にも宜しくお伝えください。
これから気温が下がるとますます綺麗になりそうで嬉しいです。
ビオラの違った種類 わかりました。
でも別物のとは知りませんでした\(^o^)/
これから楽しみに観察します(笑)
ビオパンジー 面白うそうです♪
おはようございます。
たまたまお姫様のガイドのある日に行けてラッキ-でした。
そうそうはないのです。
お天気も恵まれましたし 最高でしたね。
天守閣の外廊下 成瀬さんのガイドでは高所恐怖症の方は怖いかも知れませんから 辞めたほうが・・・なんて言われたのですが いつも怖がる私は案外平気でしたので高所恐怖症の人でも大丈夫ですよ。
少し傾いているので身体も少し傾き 手すりを持ちながらでしたが・・。
でも写真も撮れましたし大丈夫(笑)
こんにちは!
「白帝城」のことを書いて良かったです。
忘れるところでした(笑)
「大地の子」夢中になってみましたが 仲代達矢さんのお父さんとこの李白の詩を読んだのまでは覚えておりません。
keiさん よく覚えておられますね!!
感動しました。 ここで このつながり 嬉しいですね。
李白の詩もお城にかかっておりまして 説明もしてくださいました。
都から離れた場所にいた李白が 都へ帰還が許され心浮き立つ思いで詠んだ歌だと言われたと思います。
そういうことからしたら 息子に日本へ帰れるよ!!っていうメッセ-ジが有ったのでしょうね。
でも「私はこの大地の子です」と言ったのですね。そこは覚えています。
また観てみたくなります。
教えて頂いて有難うございます。
ますます犬山城の思い出が深まります♪
こんにちは!
お殿様のお座布団(笑) 平民の私はお尻が腫れそうですね(笑)
中は何が入っているのかそこまで追求しませんでしたが 結構固かったのですが座りごこちはさすがでしたよ。
備後の畳表は有名ですね。
日本一の職人さんが居られるそうですが 高齢で出来上がるまでに4,5年はかかると言われたそうです。
それで成瀬さんも諦められたそうです。
こんにちは!
本当に桜の時期は綺麗でしょうね。
お城と桜は絵のようですものね。
桜の時期にはいつも何かあって 桜見物ゆっくりしたことがありません。
来年こそ!!・・・(笑)
お天気もよくて最高でしたよ。
お体 もう大丈夫ですか? お大事に・
ボケ老人のような事言ってます。(笑)
桜がそんなに沢山あるのですね。
桜の時期に行かないとね。
犬山も近いですからね。
お殿さま気分ではなく、堂々といいですね。
犬山城のことあまりよく知りませんでした。
こうしてブログに書かれるとよくわかります。
立派なお城ですね。
おはようございます。
お近くだと行ったような行ってないようなそんな感じになりますよ(笑)
丁度お城の前に有るというか 写真を撮るには綺麗だと思います。
そんなに沢山沢山有るわけではありませんけど・・。
またいつか行ってみてくださいね。
本当に立派なお城でした。
「犬山城」は確かに、成瀬さんが城主を務められたお城ですが
何故「お姫さま」なのでしょうか?
幕末の一時期 「犬山藩」が確かに存在したようですが
成瀬氏は、御三家筆頭の「尾張徳川藩」の家老に過ぎません。
自称「お姫さま」とは、嫌味な方ですね。
本物のお姫さまはもっと慎み深いものですよ。
失礼しました。
「尾張徳川氏」の「尾張藩」に訂正させて頂きます。
分家は「美濃高須藩」のみで、幕末に有名な「高須4兄弟」を出した支藩です。
尾張2代藩主「光友公」の正室「千代姫(5代将軍の姉)所生の次男が、美濃高須藩祖です。
成瀬氏は、名実共に「尾張藩」の「臣下」です。
日本最古の「国宝犬山城」を、先ごろまで全国で唯一、個人で所有し、護っていらしたことには敬意を表します。
おはようございます。
古い記事を読んでくださり有難うございます。
歴史に疎い私ですがお城めぐりは好きでこの犬山城も憧れでした。
「お姫さま」 周りの人たちが勝手にそう言ってPRしているのではないでしょうか?(JTBさんのお姫様ツア-に申し込んだ私達です・・笑)
歴史がお好きなのですね。
コメント有難うございました。また覗いてください。