小さな旅・・大崎下島(御手洗)
2014年 12月 11日
以前は上島も下島も「豊田郡」でしたが、今は大崎上島だけが豊田郡で大崎下島は呉市になっています。
そのような事で呉市からこの島に行くのは4つの大橋を渡れば簡単に行くことが出来ます。
しかし豊田郡の大崎上島には橋が架かってなくてフェリ-なのですよね。
大崎下島・・・大長みかんで大変有名な島なのですよ。 広島みかんの代表格です。
島を歩いていてもあちこちでこのように箱が積まれているのを見ました。
みかん農家さんが集荷を持っておられるのでしょうか・・。
この「大崎下島」には以前から一度行きたいと思っておりました。
「御手洗(みたらい)」と言う地名をご存知でしょうか?
江戸から明治にかけて西日本での物流の拠点であり、江戸時代には西日本で大阪の次に栄えた町と言うことで有名です。
日本最古の遊郭の建物も現存しています。
町全体が保存地区なのです。
天保3年に建てられた「高とうろう」です。
古い町並みが続いていますのでゆっくりと歩きました。
ご近所さんがお話されています。挨拶をしますと優しい声で「上に鐘がありますからついて見てください。」と言われました。のどかな情景ですね。
このお寺の説明を興味のある方は読んでくださいね(^^ゞ 知った名前が出てきます。
由緒あるお寺なのですね。
この鐘を夫が突きました。 大きな音にびっくりです。
ここは遊郭の建物です。現存している「若胡小屋」です。
御手洗には4軒の茶屋(遊郭)があり、最盛期には300人ほどの遊女がいたそうです。
その中で日本最古の遊郭・若胡小屋には120人ほどの遊女を抱え西日本一の遊郭と言われていたそうです。京都でしか見られない「おいらん道中」もここでは見られたそうです。
遊女たちの悲しい物語が今はこの建物内で展示されていました。
庭には花魁さんたちの墓もありました。 墓を作ってもらえるのもほんの一握りの人ですよね。
これだけ遊郭が栄えたという事なのでいかにここ御手洗が栄えたかという証明になりますね。
こちらの家は金子邸。
パンフレットからですが・・・慶応2年(1866年)1月、坂本龍馬の仲介で、長州藩の桂小五郎と薩摩藩の西郷隆盛との間で薩長連合が成立し、反幕府の勢力が強大となっていく時代背景のなかで、慶応3年(1867年)11月26日、7隻の軍艦と兵を率いた長州軍とこの御手洗で船に乗り込んで待っていた芸州軍が合流し、広島藩諸兵総督・岸九兵衛と長州藩家老・毛利内匠は金子邸宅で会談し、討幕のための約定(御手洗条約)が結ばれました。
その場所がこの金子邸です。
常盤町どおりです。 江戸時代の建物が残っている通りです。
ここは旧柴屋邸。
伊能忠敬も宿泊したといわれ、土倉には伊能忠敬に関する資料が展示されていました。
ここで見たこの案内 「お手洗い ご利用苦ださい」の「苦ださい」は 有りですか?(笑)
(拡大出来ます)
昔は教科書を売るお店は特別だったのですね。
昔の時計を修理できる日本でただ一人のご主人さんがおられる「親光時計店」などもあります。
港に近い江戸時代に建てられた船宿です。
駆け足で綴りましたが とっても魅力ある町「御手洗」です。
マッサンの故郷 竹原市からは少し時間がかかりますが 呉市からだとすぐです。
いつかお訪ねください。
どこの家にもお花が飾ってありました。おもてなしの心でしょうね。
最後にこんな文章を載せておきましょう。
風まち、 潮まち、 港町、
そして江戸の竜宮城、御手洗。
瀬戸内海のほぼヘソにある、
江戸時代の中継貿易港には、
人が集い、物が集まり文化が育った。
その栄華の残像が、平成の今、
日本文化を伝えてくれる。
これで一泊二日の小さな旅は終わります♪
広島は主人の故郷なのでおりにつけ出かけましたが
竹原はまだ行ったことがなく、
興味津々で読ませていただきました。
話は飛びますが「御手洗(みたらい)」という苗字がありますね。
「遊郭」が・そこに?でしたか?
いろいろ勉強になりました。
「国定教科書取次販売所」は・今は何を売ってるんでしょうか?
独身時代に勤めていた会社に「御手洗」さんがいました。ご先祖はこちらなのかしら?
今はお付き合いがないので聞けませんね。(笑)
日本国内も見るべきところがたくさんありますね。
老後はそういったところを一つずつ訪ねたいねと夫と話しています。海外はもう十分です。
素敵な旅をされましたね。
古い建物は好きな方なので、いつかゆっくり歩いてみたいなんて思いました。
伊能忠敬も宿泊したのですね。
千葉の佐原の人です。
生家は古い街並みの中に現存していて、記念館になっています。2回ほど足を運びました。
おはようございます。
読んでくださって有難うございます。
近場にも結構見どころがある所があるものだと改めて認識した旅でした。
ご主人様と広島へ帰られた時はぜひ足を延ばしてみてください。「御手洗」はお奨めです。
江戸時代の船宿を載せていますがその少し隣に現在の船宿が有りまして 一日1組だけしか泊まれない宿があり人気です。
そう言う所での宿泊もいいのではないかと思います。
竹原とセットでどうぞ♪
おはようございます。
「苦ださい。」はないですよね~~(笑)
昔は使っていたのかと錯覚しました(>_<)
私も知人に「御手洗さん」って以前おられました。
今回は行きませんでしたが「おいらん公園」という所がありそこまで少し登って見ると御手洗の町並みと瀬戸内海が見渡せるようです。花魁さんたちの悲しい物語も忘れないためにも公園の名前を付けたのでしょうかね~~。
教科書の看板が残っていたお店は中まで入れなかったのですが窓越しに覗いてみると古いいろいろな物がそれこそ教科書とか
船の模型とかなんだかよく分からないお店でした。
ただ古いものがお好きな方は中にどうぞ~っていう感じで今はお商売はされてないようでした。開いていればよかったのですが今回は鍵がかかっていました。
おはようございます。
ここにはロケ地にはなってないのか(笑)そういう看板は有りませんでしたね~。
でもここでも時代劇など撮れそうですが大きな旅館もないようですし撮影隊の人も泊まれないから・・・といらぬ心配しますが本当に映画撮れると思います(笑)
そう寅さんだったら来てくれたかも・・。
こんばんは!
そうですか~~昔 特に歴史に関係する場所だとまた一段と興味がわきますね。
交易で栄えた場所は住まいなどもしっかり作られているということでしょうか・・。
いろいと日本全国 見て歩きたいものですね、無理な話ですが・・。
隠れた名所もブロぐを通して皆さんから教えていただくこともあり良いことですね。
こんばんは!
以前にもお友達のお名前が「御手洗さん」ってお聞きしたように思いますがその時の話題はなんだったのでしょうね(笑)
私も知り合いがいました、同じ名前。
まだ子供だったので読み方が難しいなぁ~っていつも思っていた思い出が有ります。
本当にまだまだ見るべき所 見たい所 沢山ですね。
海外に行く前にいま一度日本を再発見しなくてはいけませんね。
小さな所でしたが歴史がいっぱい詰まっていました。またゆっくり今回見れなかった所も行って見たいと思います。
こんばんは!
近場なのになかなか行けなかったのです。やっとです。
伊能忠敬記念館 以前アップされていましたね。
こんな小さな島にも来て測量したのかと思うとびっくりします。
いろいろ資料が展示されていましたが大きな仕事をされましたよね。
こんばんは!
是非行って見てください。
呉市から安芸灘大橋を渡って 蒲刈に渡りまた橋を渡って・・と橋伝いに行けます。
昔の面影を残しながら今もお商売されている店もありなかなか面白いです。
船宿も新しい方はお食事も出来ます。 私が行った日はもう売り切れで営業終了していました(・へ・)
江戸時代の船宿をアップしていますがその並びに新しい船宿がありそこです。友人が行ったそうですがお昼美味しかったそうです。
こちらにもコメントを・・感謝です。
ゆっくり歩いて自分を取り戻したい時ってありますね。
毎日お忙しいそう~~。
ご自愛くださいね。
おじいちゃんもお元気で・・とお祈りしています。
こんばんは!
大崎上島 良いところですよね。
呉市に今はなっていますが 元呉市民にはなんだかなじめなくて豊田郡なんていう方がなじんでおります(笑)
遊郭で働いておいた女性たちのお墓もありました。
遊郭に興味が・・(笑)
またお越しでください。