「夢 と 絆」 蓮池 薫氏
2014年 07月 14日
一人はハワイへ一緒に行った友人ですが もう一人は久しぶりの対面でした~~♪
今回はある意味話題の方で早くから列が出来ました。
講師は蓮池 薫氏
演題は「夢 と 絆」
多くの本を出しておられますから読まれた方はきっと内容は重複すると思います。
帰国されて12年、羽田空港に降り立たれた蓮池 薫さんよりは少しふっくらされたでしょうか・・。
人生の夢を思いがけない拉致というむごい事件で奪われた蓮池さんの北朝鮮での事 他の拉致被害者の方々のお話も聞けるかしら?と期待は膨らみました。
しかしお話はご自分の事と奥様と子どもさんのことに限られ一緒に帰国された方々や今、まだ帰国を果たせない人々の話はいっさいされませんでした。
きっと制約も有ったり個人的にお話出来ないと思われることも有ったでしょう。
最初に話されたことは先日行われた北朝鮮との政府間交渉のことでした。
期待半分 不信感半分 ・・とのことでした。それは日本政府もよく分かっているでしょう。
しかしここは是非とも問題解決に向かって進んでいってほしい、 何か間違った方向へ(日本政府を含めて・・)行くようなら自分は大きな声を上げたい!!って言われました。
拉致被害者の救出の他に3本の柱が有ります。
その一つ「日本人妻」のこと すでに北朝鮮でその方々の調査が始まっているはずとのこと。
「あなたは日本へ帰りたいですか?」 そういう質問に 「はい帰りたいです。」なんてとんでもない!言えないそうです。
そして日本政府には「本人に聞きとり調査しましたが帰りたくないそうです。」との回答が寄せられるのが目に見えていると言われました。
まだ書き始めなのに最後心にしみた話は 「自分たちはもう帰れないと思っていたのに帰国できました。 自分たちが帰ったことはニュ-スで放映され知っておられると思います。
残された拉致被害者は次はいつか? 今度は自分か? と凄い期待感が湧きあがったでしょう。
それなのに12年間なんの進展もなく それは自分たち(蓮池さんたち)が味わった諦めとはちがい 期待感が高まった後の絶望感(諦め)はいかほどでしょうか・・・。 想像を絶します。 どうしても今回は今までのような形で終わらせてはいけないのです。・・・・」と力強く言われました。
今 この時間にでも北朝鮮で暮らしておられる被害者の方々のことを思うと 蓮池さんのお話を聞く前よりとっても身近に感じられ 横田めぐみさんたちご家族の活動にも出来ることなら参加したい!!との思いが湧きあがります。
他人事にしてはいけませんね。
1時間半のお話をまとめる力もないので端折って・・・。
後でご結婚された彼女と柏崎の海岸で拉致された時の様子 サンタクロ-スの持っているような袋に別々に(彼女と・・)入れられ着いたところが北朝鮮の港であった。 まず取り押さえられた時目が見えなくなるようにと顔面を殴られ目の周りが腫れあがりよく視界が見えなかったそうです。
彼女の方は殴られませんでしたがガムテ-プのようなもので顔面を貼られたそうです。
あとでそれを取るときの痛みは耐えられないほどだったとの事。
お互い相手はどこ?って聞くと 「もう彼は (彼女は・)日本に帰したから」と言われたそうです。
それから24年間の辛い生活が始まるのです。
長いですね~24年間。 自分たちは柏崎に残した家族のことはいろいろ想像でき元気で暮らしてるだろうと思えましたが 家族には自分が元気でいることを伝えられない日々です。
大分たった有るとき監視付きですが首都ピョンヤンに出た時 車の中から見たのは日本のテレビ局が市民にインタビュ-をしている光景だったのです。
そしてそのキャスタ-が 「木枯らし紋次郎だった」 そう 中村敦夫さんです。
胸が高なりましたがここで飛出し「私は蓮池 薫です。」とテレビカメラの前で叫びたい衝動に駆られたそうです。その一方で冷静な蓮池 薫が「どうせライブではないし フイルムは取り上げられお前もただでは済まないぞ!」って囁くのです。胸はドンドン高まり耐えられなくなって「早くあっちへ」と運転手に催促したそうです。
こういう話を聞きますと他の拉致被害者も身近に日本人を見たことが有ったかも知れませんね。しかしどうにも出来ない!
なんとしても助けてあげたいですね~。悔しいですね。
お話はなぜ自分たちは彼女と再会し結婚出来たのか・・・、子どもの教育はどのようにしたか・・・そして帰国できないならどのようにして北朝鮮人とし生きていくか・・などなど話してくださいました。
帰国されて家族との対面は今なき「赤坂プリンスホテル」だったそうです。
そこで兄弟喧嘩をしたこと 母が悲しみ「24年ぶりに会ったのにどうしてお前たちは喧嘩をするのか!!」と烈火のごとく怒り 辞めないならこのホテルから飛び降りるとお母さんは言われたそうです。
兄弟喧嘩が悲しかったのですよね~ここでは私達聞きます者がみんな涙が出たと後で話ました。
ふるさと柏崎に帰って故郷の景色をみ 友達に会ったりするうち、もう北朝鮮には帰らない決心をされたそうです。 しかし子どもは置いてきています。 奥様は断固として反対されましたが説得して・・との事。
母親として何とも辛い決断ですね。
その決心を2週間でしなくてはならなかった! 2週間は短いですよ・・そうでしょうね。
国内旅行に行ってくると子供たちには行って帰国されていました。
子どもたちを取り戻すために1年半かかったそうです。
しかし良かったですよね~~。
終わりは午後3時なのですが 終わるのか?って思っておりましたがさすがです。丁度にお話は終わりました。「拉致と決断」の本が販売されサイン会もありました。
友人のお姉さんが買われたそうで あとで回って来ることになっています(^^ゞ
皆さんも読んでみてくださいね。
なんとしても今回の政府間交渉の約束が果たされ皆さんが帰国されることが出来ますようにお祈りしたいと思います。
ここまで書いて演題の「夢 と 絆」について書いてない事に気がつきました。
少しだけ延長です(^^ゞ
蓮池 薫さんの言葉・・・
拉致されたことで自分の夢は打ち砕かれた。 夢が叶う為には選択肢が有ります。しかし北朝鮮での生活には選択肢はありません。 夢が断ち切られました。
命だけ残ったけどすべてのものが奪われました。
そして家族との絆も断ち切れました・・・・と北朝鮮での絶望的な日々をこの日の演題とされました。
前向きな生活に向っての「夢」と「絆」ではなく 蓮池薫氏にとっての「夢」と「絆」は絶望的であり 将来が見えないぐらい断ち切られたのでした。
来月は落語家の柳家花緑さんです。 楽しみです♪
yasukon様のこのブログを読んだだけで・・・、泣けます。
言いようの無い気持ちです。
震災復興、反原発もそうですが拉致問題 今一番の関心事です
横田さんにしろ蓮池さんにしろ 「母は強し」そしてみんな頭が良いお方達ですね 感心してます
一生懸命がなせる業なのでしょうか
蓮池さんのお兄さんは関電にも関係しておられましたよね
(TVで)ご自分でも話しておられましたが稀な人生を歩まれています
お元気なんでしょうか
一人でも多くいいえ全員のお帰りを祈って、信じて待ちましょう
yasukonさん家で
講演の一端でも聞かせていただいて嬉しかったです
ありがとうございます
北の生活と日本とでは雲泥以上の差。
人間が人間で無くなりそうな国ですから。
横田滋ご夫妻を見ていると
早く拉致問題が解決し、全員が家族のもとに帰れることを
祈らずにはいられません。
蓮池薫さんの生の声、お聴きしたかったです。
なぜ…何故私が… と言う気持ち
いきなり拉致されて その人の夢も絆も 絶望的に断ち切られてしまう…
本当にそういう事を経験された方の生の言葉は
心に響きますね…
yasukonさんのお話を読んだだけでも やりきれない気持ちになります
拉致問題…少しでも早く解決してほしいですね
安心できる生活を取り戻してほしいです
とても楽しみにされていた講演会、講師はどなたかしら、と思っていました。
記事を読ませていただくだけでも、簡単に解決する話ではないようですね。
「夢と絆」と言うと希望がある、前向きなことかと思いますね。それが全く逆の意味に使われていることに衝撃を覚えました。
週刊誌のタイトルに「○○さんだけ帰国か!」みたいな文字が並んでいました。○○さんのご家族はもとより、名前のあがらないご家族、被害者と認定されないご家族はどんなお気持ちでしょう。
社会はもっと丁寧に扱ってほしいです。
そして一日も早くみなさんが日本の土地を踏めますように。
長い年月よく耐えていらしたのだと。
ご本人はもとより、ご家族の気持ちはどんなだったでしょうか。
早く一日も早く、日本の地に、残された皆様が
降り立つことが出来ますように。
↓、わが家も似たようなものです(*^_^*)
お兄さんと喧嘩した時のお母様の反応、なんだかすごくわかります。そんな事があったんだなあ、としみじみ思いました。
野菜ジュースの件、そりゃむこうが間違えたのですから、いただいても問題ないと思いますよ。私、この野菜生活、すごく好きで、よく飲んでます。
出版本を出されたのをきっかけに
はじめてテレビの前でその日の事から
あちらでの生活を淡々と話されている姿は今も記憶に・・・
想像を絶する人生を狂わせたあの国が
とてつもなく恐ろしくおもいました
子どもさんには日本人であることを隠し
中学進学と同時に親元を離れ寄宿生活
親子の絆は帰る時の小豆などの食料ということも
>拉致されたことで自分の夢は打ち砕かれた。 夢が叶う為には選択肢が有ります。しかし北朝鮮での生活には選択肢はありません。 夢が断ち切られました。
命だけ残ったけどすべてのものが奪われました。
同じ言葉を聞きました
期待<不信・・・
語ることで伝えて欲しいですね
こんばんは!
私達が想像も出来ないほどの日々の生活。 どんなに強靭な精神の持ち主でないと生き残れないのではないかとさえ思えました。
どうあがいても帰国できないと悟った時言葉を覚えようと思われたそうです。 そして取得されて行きます。
あちらの目的はあくまで工作員を養成すること。その詳しいお話はありませんでしたがきっとお話されるのが辛いか いってはいけない事なのか・・かも知れませんね。
今 残されている方々の一日でも早い救出を祈りたいですね。
こんばんは!
言うことがころころ変わるそうですね。
話されることは本当に何十分の一でしょうから もっともっと辛い体験をされているはずです。
本を読んでみたいと思います。
ジェイキンスさんや子供さんたちも日本へ帰られて良かったですよね。
たの方々も一日も早く・・・・そう祈ります。
週末には梅雨明けしそうですよ。暑い夏が始まりますね。
蓮池さんたちが、帰国されてもう12年たつんですね。拉致問題がひとつも進展しないまま。。
家族の方の気持ちを思うと一日も早い解決を祈るばかりですね。
母が蓮池さんの本(拉致と家族)を買って読んだと言ってたので今度、借りて読んでみたいと思います。
yasukonさんのお話、読んでそう思いました。
こんばんは!
今 雷が鳴っています~~梅雨明けもまじかでしょうかね。
お兄さんの話は出ませんでしたね~。
喧嘩したことしか。 北朝鮮にまた帰ろうと思っておられたので兄弟喧嘩になったそうです。
家族にしたらやっと会えたのですから帰したくないですよね。
拉致家族会との関係はよく知りませんが やはり立場が全然違いますから気持ちがどこまで寄り添えるかでしょうね~~なんて思ったりします。
こんばんは!
お兄さんの事は何も話が出ませんでしたので私は全然知りません。
帰国後 薫さんを引き留めるのに必死となり喧嘩にもなったのですよね。
子供さんを置いてきておられるのですから 本当にすごい決断です。
悪くすればもう会えないかも知れないのですからね・・。
でも今は良かったですよね。
子どもさんたちも夢を今は追っておられるのではないでしょうか・・。
早く残っている人達の情報が欲しいですね。
共にお祈りいたしましょう。
こんばんは!
帰国されて12年 北にはその倍24年もおられたのですから想像を絶する毎日だったと思います。
本当に隔離されていたらしいです。
子どもさんたちも4,5歳まで人に会ったことがなかったそうで 指導員などが訪ねてくると怖がっていたとのことでした。
親しか知らない生活ってどんなかったのでしょうね~。
一日も早く救出してあげないとみなさん 歳を取ってきて帰国しても何も出来ないことになります・・と訴えられました。
自分たちはまだ40代だったからどうにか生活を立て直せたと・・。
日本の親御さんたちもご高齢になられますし本当に今回で解決してほしいですね。
他人事ではないと思いました。
おはようございます。
(後でわかったそうですが・・)小泉さんが行かれる前 凄い長いストリ-の台本(?)を渡され全部一字一句間違えないように覚えろ!って言われたそうです。
それには自分が拉致されたのではなく遭難していたのを救助してもらった。船は日本の海域の外なので日本には帰れないから北朝鮮に連れて来れた!っていう意味の文章です。
しかし拉致したと北が認めたのでその覚えたことはすべて忘れろ!って言われた後日本使節団に会ったそうです。
それも住んだこともない立派なピョンヤンの高層マンションの一部屋で ここですっと暮らしていたと言え・・と言われたそうです。
すべたが嘘で固めた国ですね。
だから今度のことも不安が残りますね。
今度こそ 人間としての心からなる謝罪と皆さんを返して欲しいですね。
おはようございます。
↑の 返コメにも書きましたがどこまで信用したらいいのか分からない国ですよね。 何もかも中途半端で終わらせる意図がちらちら見えると言われました。
あちらのやり方をよく知っている方のお話は説得力があります。
なんとしても早い段階で救出してあげたいですね。
もう時間が無いのです!!って訴えられました。
歳とってしまっては日本へ帰っても何をしたらいいのか 出来ないのではないかと思っておられます。
それはそうだな~って思いました。 今はただただ帰って来て!と祈っていますがその後は別な苦難も待っていることでしょうね。
その週刊誌の宣伝 見ました。 どうしてあんなことを書くのでしょうね~悲しいですよね。
おはようございます。
あの時の蓮池さんのやせ細ったお顔を忘れることは出来ませんね。
「これは夢ではないのか、本当に日本に帰ってきたのか?」って思われているようなお顔だったように思えます。
今回も順調に事が運んで全員が帰国されることを願って祈って行きたいですね。
老夫婦 笑われたでしょ(笑)
これからもまた違った形で何かありそうです(^^ゞ
お互い支え合ってがこれからの目標にします・・あっはは・
おはようございます。
中村敦夫さんを見かけた時 飛び出して叫びたい、言いたくても言えない事が沢山おありでしょうね。すべて解決したら「本当はこうだったのですよ~」ってまた山ほどの話が出てきそうな気もしますね。
もう一度 脱走しようかと思ったことが有ったそうです。
それは中国との国境を歩いていて細い川があり 4,5歩渡れば中国だったそうですが そこでも冷静な蓮池薫が出てきて 「ここから北京の日本大使館まで行きつけるのか? この荒野を家族ともども行けるのか?」ってささやくそうです。
そうですよね~~その時も胸はドキドキだったそうです。
お兄さんとの喧嘩も 「日本へ残れ」「いや帰らなくては残る気はない」と言った喧嘩。
残りたいと言ったら置いてきた子供たちの命が危ないと思ったそうです。それでも故郷に帰れば本当に癒されたのですね~♪
本当に辛い決断だったと思いますね。 生身をはがれる思いだったと思います。
良いお話を聞くことが出来ました。
himekaguraさんも飲んでおられますか・・・。
身体に良さそうですよね(^^ゞ
お支払 助かりました\(^o^)/
おはようございます。
そうでしたか~~NHK、見逃しました。 きっと同じお話だと思います。
全寮制の学校から帰って来るたび これが我が子?って思えるほど痩せて帰ってきたそうですね。
奥様が郵便で食糧を送ろうと思うと 世話をしてくれていたおばさんが(この人も監視なのでしょうね)「郵便局員も泥棒だから荷物は子供の所には届かないよ」って教えてくれたそうです。
それで大豆を炒って持たせ「1回10粒づつ食べなさい」と食べる量まで言って送り出したそうですね。
日本人として生きて行けないなら子供たちの将来の為にもあちらの人間になりきろうと努力されていますね。
それを洗脳されていると一時帰国後書かれたことも覚えておりますが仕方がなかったのですよね。
まだ帰国できない方々の早急の救出を祈りたいですね。
おはようございます。
そうですか~~梅雨明け、待ちどうしですね。
昨夜は雷がなっていましたね~。 梅雨明けの前には雷がなると昔から聞いていましたのできっと開けますね!!
是非 本を読んでください。
1時間半の話よりきっと詳しく書いてあることでしょう。 私も回ってくるのを楽しみにしています。
想像を絶する生活 よく耐えられましたよね。
今も残っておられる方々もどうぞお元気で・・と祈っていきましょうね。
早く 早く・・・と何度も言われましたよ。
おはようございます。
そうなのですよ~今こうした時もあちらでどんな生活をされているのだろ~って思いますね。
早く帰りたい でもそれを口に出せない・・・お話聞いてそんな感じですね。
長年 思いが断ち切られているのですからなかなか自分の気持ちを打ち明けることも難しい国なのでしょうね。
共に戦って行きたいですね。
安倍さんに言いたいこといっぱいだけど(笑)拉致問題だけは絶対に頑張ってもらわないといけませんね。
よくまとめておられて…。
でももっともっと書きたかったからでしょうね。でもyasukon20さんの心の震えが、感激が、感涙がよ~く伝わってきました。
拉致という人生をぶち壊すようなむごい仕打ちをするなんて許せませんよ。
なんとか解決できないものでしょうか……。
こんばんは!
書いているうちにあれもこれも・・と思って始末が悪くなります(笑)
もっともっと書きたい事が有りますが長くなってもね~~(笑)
コメント頂いた方に思い出したことを書いたりしています。
少しでも蓮池さんたちの気持ちに近づきたいと思いますがそうすればするほど空想の世界に入ってしまいますね。
いつも監視の目があり何も出来ない 奥様と話をするときにも日本語を使う時は小さな声で話されたそうです。
手を出されて5本の指の間のように山と山の間が谷のようになっていてそこに招待所という建物が有ったことを話されました。
誰もほかにいなくて 誰かに会えるとすれば一つ山の向こうに行かなくては人に会えない。その自由も無い。 そういう招待所が沢山有ったのでしょうね。
夜には電気もつかなくて真っ暗だったそうです。
どんな毎日だったのでしょうね~~想像も出来ないほどですね。