8月6日・広島平和公園にて
2011年 08月 07日
(原爆ド-ムの周りにはキャンドルライトの準備が着々とされていました)
(PM6:00から灯ろう流しが始まりました)
(献花される方の長蛇の列で正面からは写真が撮れませんでした)
(原爆の子の像前の広場で輪が出来ていました。
カメラを向けていると声をかけられ 私と夫も輪の一員に加わりました)
お互いにハグしあいました)
(NHK広島の特別番組 5秒前の緊張!!
地方版「お好みワイド広島」担当のお二人のアナウンサ-です。
始まって驚いたのですが 目の前の私たちにはゲストやアナウンサ-の声が聞こえないのです。公開放送ではないから? )
(相生橋から・・元安川の灯ろう流し風景 画面上が川下になります)
PM7:40
(原爆供養塔前。神道 仏教 キリスト教によって構成されている広島県宗教連盟は8月6日原爆犠牲者の慰霊と、核兵器のない世界を願って祈り続けています。)
(同じく原爆供養塔前にて。 「私の被爆体験」と題して岡村悦弥元牧師のお話をお聞きしました)
(元安川の灯ろう~~。 午後9時まで灯ろう流しが行われていました)
今日(8/7)も大変暑い広島です。
66年前の今日。 大惨事の後の広島の町は東日本大震災後の風景と重なると語り部の方は言われます。
また福島の方々への思いも今まで以上に深まります。
5年前の8月6日の夜 私はやはり灯ろう流しをみていましたがとても賑やかで
静かに祈る場所はここにはないのでは!!~と思ったのです。
でも昨夜は違いました。
大勢の人なのに以前のようなお祭り騒ぎ的賑やかさはありませんでした。
みんなの気持ちが同じ方向へ向いている証拠ではないでしょうか・・・。
今日も明日も明後日も・ずっとずっと祈りは続けなくては・・・。
ふと、昔(4年ぐらい前)私がある場所(笑)にさだまさしさんの記事のことを書いたのを思い出しました。
「平和公園には何があるの?」との子供の問いにお母さんは
「ブランコでもあるんじゃないの」と答えたそうです。
毎年 広島、長崎で追悼の式典があるけど 必ずしも被爆体験は日本全国で認知されていないんだなぁ・・・と現実を突きつけられた・・・・
・・・というさだまさしさんの記事が新聞に載った事がありました。
私たちが語り繋いでいく事の責任を感じます。
行われていることを はじめて知った私です
ちょっと恥ずかしいです
福島で今もなお続く 被ばくの恐怖
考えさせられる今年の記念日となりましたね
なくなった方々のご冥福をお祈りいたします
後世に語るべきものを しっかりと自分がもって
いないといけませんね~
yasukon29様。
なんと 私も9時半頃から平和公園の中におりました。
もしかして もしかしたらすれ違っていたかもしれませんね。
灯篭 綺麗でしたが 儚さも感じてしまいました。
アクディブなyasukon20様ですね。
見習わねば。
○o。.d(*´∀`*)b.。o○
ここで練習して鹿児島から特攻隊として飛び立って行ったそうです。
父は、特別幹部候補生の試験〔15~16歳〕を受けて航空隊に応募したそうですが、身長が170センチ以上あったので気象連隊に配属されたそうです。
幸運にも国内で終戦を迎えました・・・
軍隊体験者は、父達の年代が一番最後かな〔83歳〕
福島原発事故・・・原爆から日本は何も学んでたのでしょうか?
先日 眠られずTVをみていたら 原爆の被害者の方々の
さまざまな情報が 治療に役立てることよりも
米国にわたされていたとか・・・原爆の結果の検証のほうが
優先されていたのでしょうね~愕然とする思いです。
おはようございます。
灯篭流しはいつ頃から始まったのでしょうね~~?
私も途中からの広島市民で(笑)歴史は知らないのですよ。
来年は私も参加してみたと思いました。
近くで灯篭を売っていましてメッセ-ジを書くことが出来ます。
勿論自作の灯篭でもいいのです。
PM7:20の画像の灯篭はピンク色ですがこちらは小学校の生徒さん達が作られた灯篭を皆で流しに来ていました。
いつもと違った8月6日と思ったのは私だけではないと思えますね。
おはようございます。
あら~~そうですか? ではどこかでね♪
もう私は帰る途中の時間帯ですが 帰りながら灯篭を眺めたり
後片付けの人たちのご苦労をおもいながらバスセンタ-に向いました。
徒歩でいける圏内でいらっしゃいますでしょうか?
後で伺いますね。
おはようございます。
原爆被災者は今も沢山の方が苦しんでおられるので その姿は将来の福島の子ども達に重なります。
そういう事にならないためにも今しっかりした対策が要りますね。
悲しい出来事の震災でしたがいろいろな課題を投げかけて私たちの間違った歩みを正してくれようとしているのかも知れないとも思います。
祈りも支援も継続が大事ですね。
話は変わりますが友人が施設の車椅子の清掃のボランティアをこの度してきました。
頭が下がる思いですが彼女が「来年から継続してできるかが問題だ!!」って言っていました。
何事も継続は強い意志がいりますね。
おはようございます。
鹿児島の知覧の特攻隊の記念館をみに行きました。
その夜母がホテルで脳梗塞で倒れ話が出来なくなり辛い日々を思い出す旅の始まりが
知覧でした。
お父様 今思えば幸運でしたね。
辛い体験も後世に伝えていく為に被爆者は今まで頑張って生きてこられたのです。
いま一度 核に付いて日本中が自分のこととして考えていかなくてはいけませんね。
おはようございます。
今になっていろいろな事がわかってきていますね。
広島に新型爆弾が投下されることは日本軍も情報をキャッチしていたと言う衝撃的な話を
TVでしていました。
でもその情報は生かされることはなかったのですよね。
用事があり全部TVをみられなくて残念な思いです。
もちろん私はこの原爆のことは知りません。
でも修学旅行でも見させて頂いたし、親から話も聞きました。
二度とこのような事が繰り返されないようにと願っています。
そして毎年この日になると報道されますね。
いつまでも忘れてはいけない事だと思います。
今回の震災と重ねてしまうことも多いと思います。
でもこんな悲惨な事が世の中に二度と起こってはいけないことなんだと
娘たちにも言い継がねばいけないように思ってます。
朝の式典はテレビで拝見しました。
今年はいつもの8月6日と違いますね。
忘却の彼方に行きかけたあの日が呼び戻されたように
思いました。
色々なことを流されずに、忘れずに真剣に考えないと
いけない時代です。いつもそうでしょうが、今は本当にこれからの
未来にかかわりますもの。
忘れてしまえばなかったことにはなりませんものね。
灯篭流しの美しさが却って辛く見えたりしました。
こんばんは!
毎日時間が経つのが早いですね。 お忙しいことでしょう。
灯篭流し 自分ではしたことがないので来年は参加してみたいと思いました。
何事も参加することに意義がありますね。
亀の歩みながら少しでも前進しながらと思っています。
今年の原爆記念日は特別な想いで迎えているのでは、と思いました。
原爆供養塔の前では、宗教の垣根がないのですね。それが本来の姿ですね。
↑侑子さんが来られているみたいですね!お近くになれましたね。
こんばんは!
お返事が遅くなりましたが お役に立つのでしょうか・・?
私も戦争のこと覚えていません~(笑)
それもまた幸せな事かも知れません。
大きくなる過程で進駐軍などにお菓子 特にチョコレ-トが美味しく思ったことなどは覚えているのですよ。
8月 いろいろな意味で大切は月ですね。
こんばんは!
広島県人は小さい頃から平和学習が盛んで原爆の事は嫌になるほど(そう長いこと思っていました)勉強しました。
原爆記念日に夏休みでも登校日になるし自分には関係ないことなのに・・と思って大きくなったような気がします。
だから他県の方は本当に遠い出来事ですよね。
大人になって初めて平和学習の必要性をつよく感じます。
今年はその点 違ったのではないでしょうか・・。
津波の恐ろしさも原発事故のことも語り繋いでいきましょうね。
こんばんは!
本当に今年はいつもと違ったのがはっきり分かりましたね。
日本中が立ち止まり 平和のこと 原発のこと 地震津波のこと
心からの平和を願ったことでしょう。
後世に語り繋いでいく責任が有りますね。
灯篭流し 本当にせつないですね。
原爆投下時には水を求めてこの川に入りなくなった方々の死体が浮かんでいたのですから 灯篭をみながら「安らかに・・」と手をあわせました。
こんばんは!
今年は本当にいつもと違った雰囲気だったと感じました。
それはTVの画面では分からないことですね。
実際にその場に立って初めて分かる雰囲気だと思います。
何事も参加して肌で感じて・・と言うことが大事ですね。
侑子さん 私がゆんこさんのところに書いたコメントをご覧になられて訪ねてくださいました。
この平和公園のお近くのようです。
広島平和公園へ行かれたんですね。
元安川の灯ろう流しはとても賑やかで綺麗に写されていますね。
周りの景観も全てがカメラの中に入っていますもの
でもまわりの雰囲気はさすがに昨年とは違う物なんですよね。
広島県宗教連盟の方々の祈りがどうぞ届きますように!
もちろん私たち世界の人たちの世界平和の思いも同じですよ。
TBさせて頂きました宜しくお願いしたします。
こんばんは!
TB有難うございました。
長崎の記念式典も終わってもう話題性が薄くなってきましたね(笑)
お返事が遅くなってごめんなさいね。
いつもと少し違った雰囲気が感じられ 静かに祈る場所も有ったように思います。
以前にはただ賑やかで驚いたことを記憶しています。
平和公園 やはり静かな祈りの場所であって欲しいと思うのです。